5日放送の「炎の体育会TV THE 大逆転 SP」、素晴らしい企画をありがとうございました。
髙橋大輔選手の特集映像は前振り等を含めておよそ15分くらいで見応えたっぷり。
初出場のトリノ五輪からバンクーバー五輪で日本男子初のメダルを獲得するまでの軌跡、
大輔さん自身が振り返りながら語った言葉のひとつひとつが心に響きました。
日本男子フィギュアの人気を盛り上げ道を切り開いてきたスーパースターは、
今もなお現役選手としてフロリダを拠点にアイスダンスの練習に打ち込むアスリート。
優しい笑顔も凛々しい表情も見られたリモート出演の映像からは
心身ともに充実した日々を過ごしている様子が想像できました。
男子1枠をつかみ取り19歳で出場したトリノ五輪は8位。
「オリンピックの空気感に飲み込まれてしまったっていう
1回目のオリンピックでナメてたな~みたいなのはあります(笑)」
「自分の結果を出せなくてすごい悔しかったんですけども、男子終わって
荒川さんの演技を見ることになって、見てそこで初めて金メダルっていうものを
間近で見させてもらって『絶対このメダルが欲しい』って…
初めて強い思いを持って次に向かっていきたいと思えるオリンピック…」
その2年後、2008年の四大陸選手権では当時の世界最高得点を叩き出して優勝。
「あの時は本当にすごい勢いがあったので、
このままいけるっていうか、いくしかないというか…」
右膝前十字靭帯断裂という大怪我を負ってしまったのは2008年10月末のこと。
「グランプリシリーズが始まるので気持ちを上げなきゃっつって
無理やり気持ちを上げて練習を急に追い込んでやってたので、
気持ちと体とのバランスが多分うまくいかずに練習中に怪我をしてしまったっていう…」
「ジャンプの着地で怪我をして、怪我をした瞬間、痛っと思ったんですけど
またそのあともずっと練習してたんですよ。次の日、朝になったら治るだろうと思ってたら、
また朝になったらよりいっそう痛くなって歩けないくらいになっちゃって…」
右膝の手術は無事に成功。その後に待っていたのは過酷なリハビリの日々。
「オリンピックまで時間がギリギリで、復帰まで半年というところで
計算すると本当に1年しかない、ってところで間に合うかなっていう不安はありました」
「なんか自分ちょっと頑張り過ぎたっていう感じで…
追い込みすぎて一回線が切れたっていうか…なんかプツッと…」
「怪我しましたってなったときに『あ、俺これ絶対復活劇を作ってやる!』みたいな
気持ちがあったんです。やっぱりそのなんか自分が自分にかけた、
その復活劇をつくってやるっていう言葉のプレッシャーに多分負けてたんだと思います」
「逃避行しました。もう無理ですっつって。」
「毎日ホテル空いてるところを探して、いろんなホテルを転々として、
とりあえずフラフラ歩いて、泊まって…」
黙ってリハビリを抜け出し東京で当てもなく過ごすこと10日間、
ふと我に返ってみんなが待つ大阪に戻ることを決意。
「何してるんだろうって途中で思い出して、どうしよう…みたいな。
病院の先生にもすごい迷惑かけてるし、どうしたもんだろう、
でもこのままじゃダメだなって思って取りあえずしれっと家に帰ったんですよ」
(長光コーチ)
「家に帰ってみたら、そしたら玄関に大輔の靴があって。なんか腰抜けそうだったですね。
ちょうど彼の部屋に入ったら布団被って寝てたんで、
まぁ本当に本当に帰ってると思ってそこにぺたんとそこに座って…」
「あぁ良かった、とりあえず生きてて…みたいな感じで…(笑)
でもね本当にオリンピック無理だったら無理でいいよ、
私が壁になってあげるからやめるならやめなさい、みたいな…」
「もうそんなに辛かったんだろうなと思って…
アスリートの前に人間ですからね、生きてるのが一番です。
もうそれはずっと強く思っていたので…」
「あ~、なんか守られたなっていうふうに感じたんでしょうね、その時。
なんか本当にスッと肩の力が抜けて、次に向かうことができました」
「指導者でもあり母のような存在でもあり…けど僕が一番信頼を置けますし、
この人は絶対に裏切らないだろうなっていう…信頼関係がめちゃくちゃあったので…」
守ってくれる人であり信じることができる人、
大輔さんにとっての歌子先生はまさにかけがえのない大きな存在。
帰ってきた翌日からリハビリを再開した大輔さんの気持ちにも変化があったそう。
「あんまり追い込まないようにしましたね。
全部頑張らなきゃと思ってた部分を余白を持たせるというか…」
5か月ぶりの氷上復帰は恐怖心とのせめぎ合い。
「最初の瞬間はめちゃくちゃ覚えています。マジで滑るのが怖かったですね…
生まれたての小鹿みたいな感じで足プルプルしながら…
コケてしまってまた切れたらっていう怖さ…」
復帰戦のフィンランディア杯、GPシリーズを経て挑んだ全日本選手権で見事優勝。
メダル候補として注目を集めながらのバンクーバー五輪出場、SP「eye」。
「動き出したらあんまり考えずに体が動いた気がします。
お客さんの顔がすごい今日見えるな、とか…
ぼやけるというかそこ1人にしかフォーカスされない、それがパチパチパチと
なんか1カメ2カメ3カメみたいなバンバンバンって合うみたいな感じですね…」
「3位?ウソでしょ!?これってメダルの可能性あるじゃん、
どうしよう、緊張したらどうしよう、みたいな…」
「フリー始まる前が一番結構印象的で、『あ、やっとここまで来れた』…
ちょっと泣きそうになった、感動して(笑)。
あ~ここまで本当に色々あったけどここまで来れて良かった、幸せって…」
「4回転は練習中も全然決まらなかったですけど、
でも4回転のあとを完璧にきめる練習をしていたのであとは大丈夫みたいな感じで…」
「怪我をしても復帰できるっていう…誰かがやってるとできるんだって思えるじゃないですか。
あの時期っていうのは本当にしんどかったですけど、
少しは誰かの手助けになれたのかなっていうふうには思います。」
大輔さんが届けてくれた、逆境に立ち向かう人たちへのメッセージ。
それは大輔さんが身をもって経験してきたスケート人生そのものを象徴しているかのよう。
そっと優しく寄り添いながらも勇気づけてくれる名言でした。
「やっぱり…抜いていいと思います。ちょっとは怠けましょう。
真っ直ぐ行くよりくねくね行ったほうが、
結果いいものをたくさん拾えるよって気がする。」
★高橋大輔「絶対に裏切らないって思えた」 大ケガからの復帰支えた長光コーチの言葉とは…
[スポニチ 2022.03.05 22:38 ]
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2022/03/05/kiji/20220305s00079000649000c.html
▼坂田栄治🔥体育会TV演出 Twitter (3/5、3/6)
https://twitter.com/82_kakugo/status/1500087185051369474
https://twitter.com/82_kakugo/status/1500100673886900224
https://twitter.com/82_kakugo/status/1500281874652016643
番組放送後のレポ記事、演出家の方のツイートをお借りしました。
放送しきれなかった大輔さんインタビュー映像、
もしかしたら完全版で見られるかも?!大いに期待しています!!
大輔さんのVTR後にメダルについてのエピソードを披露されていた勝俣さんは
かつて全日本を生観戦されたときのことを2014年に出演した番組でお話しされていました。
一緒に連れていった娘さんが試合中に声を出してしまうのを心配して
ロビーに連れ出したところで大輔さんや本田望結ちゃんに遭遇したというエピソード、
当時のブログ記事(こちら)に残っていましたが
微笑ましくもあり羨ましくもあるサプライスな出来事でした。
大輔さんが前十字靭帯の大怪我から復帰したことで励まされた人は大勢いらっしゃるはず。
その中の一人、テニスの錦織圭選手は2009年の「スポーツ大陸」という番組をご覧になり
手術前よりも強くなって戻ってきたいとブログに記されていたそうです。
ちょうど私が大輔さんを知るきっかけになった番組でもあったので何だか余計に嬉しくて。
リンクお借りしておきます。
★【from 錦織圭】左手・右手のプレイ動画を掲載しました!
[KEI NISHIKORI.COM ブログ メッセージ2009年10月30日 18:55]
https://blog.keinishikori.com/2009/10/from-16.html
こちらも嬉しくてRTさせていただきました。
大輔さんのスケートも人柄も魅力的だとつぶやいてくださっている
JA山梨の公式Twitter、お借りしておきます。(中の人、きっとお仲間ですね。笑)
▼ちゃぱ JA山梨みらい Twitter (3/5、3/6)
https://twitter.com/mirai_tyapa/status/1500309643968454661
https://twitter.com/mirai_tyapa/status/1500314398841135114
北京五輪をご覧になって彼のスケートを思い出された方も多いようですし、
昨夜の放送をご覧になって懐かしい記憶を呼び覚まされた方も多いかと思います。
今月16日に36歳の誕生日を迎える髙橋大輔選手、
アイスダンスでは初出場となる世界選手権での活躍も
ぜひたくさんの方々に注目して見ていただきたいなと願っています!
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