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NYの空の下&走るPUMA&(記事)高橋大輔選手の引き際

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大輔さんのいるニューヨークの同じ空の下、
アイスリンクのオープニングイベントに参加したメリル様&チャーリー。
素敵なフォトをメリル様のtwitterから感謝してお借りします。








一枚目はNYの上空からのフォトのようですね。
飛行機の窓から見下ろした夜景は宝石を散りばめたようで本当に綺麗。
そして現地時間の10/13(火)の朝、NYの空の下にある屋外スケートリンクにて
フィギュアシーズンの本格的な幕開けに演技で花を添えたメリチャリ、
イベント前のツーショットでしょうか、いつも素敵な2人です。

↓ロックフェラーセンターのアイスリンク、公式サイトはこちら
https://therinkatrockcenter.com/
いつかこんな光景の中に大輔さんが混じることもあるのかも??
と、あれこれ想像ばかりが膨らむ秋の夜長です。



今夜も遅い時間のブログ更新となりました。
残業後に一旦帰宅、それから買い物に出たついでに
「Shall we?」大輔さんパッケージを探すも今日も発見できず…
それでもふらりと寄ったアルペンで新しいPUMA大輔さんに遭遇できてラッキーでした♪
先日まではトレーニング中のフォトでしたが、今回は走るPUMA大輔さん!!
照明の具合であまり綺麗に撮れなかったのですが雰囲気だけでも伝われば幸いです。







間もなく日付が変わると10月14日。
ちょうど1年前は大輔さんが引退発表会見を行った日。
あの頃たくさん集めておいた新聞記事の中に
発表から約2週間後の毎日新聞の記事がありました。

実際の記事の写真はモノクロでしたが同じ内容のweb記事の方はカラー写真、
以前はリンク先のみしか紹介していなかったので、
ここで改めて全文をお借りしたいと思います。


★記者の目:フィギュア 高橋大輔選手の引退=芳賀竜也(東京運動部)
[毎日新聞 2014.10.30 東京朝刊]
http://mainichi.jp/shimen/news/20141030ddm005070023000c.html

■引き際、後進のモデルに
 日本男子フィギュアスケート界をリードしてきた2010年バンクーバー冬季五輪銅メダルの高橋大輔選手(28)=関大大学院=が現役を引退した。取材で8年間向き合い、ここ数年は進退の悩みをよく感じ取った。時には発言がぶれ、周囲を困惑させもしたが、今回、半年の休養を経た後に「次に進むため、一度、線を引く」とした潔い決断は、高橋選手の精神的な成長の証しだと思う。
 初めて取材したのは06年2月。イタリア・トリノ冬季五輪の直前現地合宿だった。当時、北海道報道部員だった私は、日本選手の半数を占める北海道出身者の担当だったが、特派員団の一員として、たまたまフィギュアを取材した。「4回転ジャンプを跳びたい」「金メダルがいい」と話す高橋選手を、私は「気合を前面に押し出した」と書いた。だがフィギュア担当の同僚は「本当か?」と疑問を投げ掛けてきた。高橋選手は当時、緊張で力を出せない場面も多々あって「ガラスのハート」とも言われ、「気合」を示す場面などあまりなかったという。同僚と私の感じる大きなギャップ。高橋選手の内面に迫りたくなった。

■五輪前にまだ揺れ続けた決意
 高橋選手最大の転機は、再起不能とまでいわれた08年の右膝前十字靱帯(じんたい)断裂にあるが、他にも進退に関わる節目が少なくとも2場面はあった。一つは11年世界選手権。もともと高橋選手は、日本男子フィギュア初の五輪メダル獲得という成果を収めたバンクーバー大会で引退するつもりだった。だが現役続行を望む声があり、進退を明確にしないままこの大会を迎えた。演技中にスケート靴の部品が外れ、結果は5位。いつもの和やかな表情が消え、悔しさを顔中に浮かべながら「奇麗に終われないかもしれないけど、そういうスケート人生もいい」と、14年ソチ冬季五輪までの現役続行を宣言した。思わぬアクシデントで最高の演技ができなかった悔いを五輪で晴らすと決意したのだ。
 だが、道は平らではなかった。ソチ五輪半年前の13年8月、北海道清水町での合宿でのこと。練習後、高橋選手は「これで最後か、最後じゃないか、分からない」と迷いを口にした。ソチでの完全燃焼を信じていたトレーナーの渡部文緒(わたなべのりお)さん(40)は、その煮え切らない態度に「ちょっと待てよ、と思った。(今後の)スケート界のことを考えたこともあるだろうが、逃げもあったと思う」と振り返る。高橋選手自身は語らなかったが、金メダルは厳しいと直感し、引退への猶予期間を延ばそうとしたのかもしれない。自らの活躍で人気を呼び込んだ日本男子フィギュア界が停滞するという不安もあった。それらが複雑に絡み合い、進退への決意を鈍らせたのだろう。

■休養得て熟考、選んだ第三の道
 周囲が活を入れ、再びソチ五輪に集中したが、右脚のすねを痛め、6位だった。その後、高橋選手は今年4月に「休養」を宣言し、自らと向き合った。迎えた今月半ばの引退会見。自分の生き様を「強引に思いを通すのではなく、(流れを)受け入れて、それをやってみて決めるというスタンス」と表現し、引退の理由を「休養していつ戻るのか、戻らないのか、というところに気持ちを残すと、次に進みにくい」と話した。
 私は、目が覚める思いがした。高橋選手は時に迷い、言動がぶれた。しかし、休養の半年を経た高橋選手は違った。自身が十分納得した上で、いつまでも「休養」を使うのではなく、退路を断って次の夢に向かう決断に至ったのだと感じた。これこそが高橋選手の本心。8年間の軌跡を振り返り、「内面」に迫れたと、私は思った。
 日本で空前の人気を誇るフィギュアスケートは高度に商業化され、トップ選手の周辺で多くのカネが動く。現役を続けることへ国民の期待も大きい。高橋選手自身も「現役に未練がないわけではない」と語る通り、選手寿命の延びも実感していた。それらの事情が、進退について選手自身が熟考する機会を奪っているのかもしれない。
 一流スポーツ選手の引き際。五輪の表彰台など最高潮で引退を迎える場合と、成績の良しあしに関わらず限界まで競技生活を続けた末の退場という2パターンに分かれる。だが、高橋選手の場合はどちらでもなく、その中間で立ち止まり、自ら考えて結論を出した「第三の道」だ。
 それにしても、日本の選手たちは勤勉過ぎると思う。どうか「休む勇気」を持ってほしい。それは、選手生活より長いセカンドキャリア(第二の人生)の充実にもつながる。高橋選手の引き際は、後進によきモデルケースを示したと評価したい。





スポーツ記者さんの目線で書かれたフィギュアスケーター・高橋大輔選手の引き際。
アスリートとして弱い部分を自ら認めながら更なる高みを目指し続けた現役時代を
温かく見守りながらいくつもの素晴らしい取材記事を書いてくださった
毎日新聞の芳賀さんに心から感謝しています。

休養宣言から約半年後の引退会見は、一ファンの私にとってはあまりに突然すぎて
ただただ戸惑いながら情報検索に明け暮れた10月後半となりましたが…
きっと大輔さんの中では自然な流れで、決めるべくして決めた引き際だったのでしょう。

晴れやかな笑顔で会見に臨んだ大輔さんはあの日の発言通りに、
しばらくの間スケートから程よい距離を保ちつつ
念願の語学留学とダンスレッスンに打ち込める環境に
自らの身を置くことが出来ていることと思います。

その中でもアイスショーやイベント、CM出演など様々な活動を続けてくれて
インスタで近況報告もしてくれて、ファンの気持ちを大切にしてくれるところが
大輔さんらしい優しさが表れているなと感じられたこの1年でした。

その中でもアイスショーやイベント、CM出演など様々な活動を続けてくれて
インスタで近況報告もしてくれて、ファンの気持ちを大切にしてくれるところが
大輔さんらしい優しさが表れているなと感じられたこの1年でした。

未だに心の古傷が痛むことも時々あるけれど、
大輔さんが前を向いて歩き続ける限りその過程を見守っていきたいから…
もう過去のことでおちおち沈んでばかりはいられません!
心を新たに、大輔さんのこれからを応援し続けていきたいと思います!!


yocco


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