ちょうど2年前の今日、2014年2月13日はソチ五輪のフィギュア男子SPの試合が行われた日。
画像は公式練習のときの大輔さん、他にも数枚お借りしてブログ記事に貼ってあります。
(この前後の記事にもいろいろまとめてありますのでお時間があればぜひ。)
http://ameblo.jp/chocolove37/entry-11770849920.html
たくさんのソチ五輪関連情報に溢れていたあの頃、
1日のうちに4~5回もブログを更新していた自分にちょっとビックリ(笑)
大輔さんのSP滑走順は29番目で日本時間では14日の未明でしたが
ひたすらブログを書きながらも緊張感でテンパっていたことが思い出されます。
「アスリート・高橋大輔」の生き様や多くの人から愛される所以が伝わってくる記事の数々、
あれこれ読み返してみた中でいくつかピックアップして、再掲させていただきたいと思います。
★思い込めラストダンス=集大成に臨む高橋
[時事ドットコム 2014.02.12 18:54]
【ソチ時事】最高のラストダンスに-。フィギュアスケート男子は13日から始まり、3大会連続出場で、前回銅メダルの高橋大輔(関大大学院)が集大成の舞台に臨む。「何があってもこれが最後。精いっぱいやりたい」という思いを胸に刻んでいる。
大会直前、思わぬ騒動に巻き込まれた。ショートプログラム使用曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」が別人の作曲だったことが発覚した。曲のテーマや背景にあるストーリーは、振り付けも含めて演技に大きく関わる。高橋にとっても重要な要素だけに、影響が懸念されたが、「曲を選んだ段階では、背景は知らなかった。作った人が誰であろうと素晴らしい曲なので表現していきたい」と言い切った。
氷の上で音楽を表現し、踊る才能では高橋の右に出るスケーターは少ない。8歳でスケートを始めた時に指導した倉敷フィギュアクラブの佐々木美行監督によると、「最初はとても恥ずかしがりの子で、手を上に上げることもできなかった」と振り返る。ただ高橋の母、清登さん(64)はこう話す。「小学校の時の運動会のビデオを見たら、すごく踊っていた。振り返れば、踊るのが好きだったのかな」。氷上の世界は、他の誰よりも自分を表現できる空間だった。
フリーでは「ビートルズ・メドレー」をスケート人生と、それを支えてくれた人への感謝を込めて滑る。「終わった時に、すがすがしくいられれば」と高橋。最後の舞台が待つ。
★フィギュア高橋大輔、言葉で振り返る波乱のスケート人生
[朝日新聞デジタル 2014,02.13 18:54]
高橋大輔の言葉には、うそがない。自らの思いを吐露する時、関係者がその無防備さにハラハラすることがあるほどだ。
初めてインタビューしたのは10年前。2年後に迫ったトリノ五輪への意気込みを聞いたら、「行けると思い込むとダメだったりする。行きたいんですけど」。煮え切らない答えに、正直、戸惑ったのを覚えている。
関大に進学し、スケートに迷いが生じていた時期だったのだと後から知った。「行けるように頑張る」と言えばすむ。それを口にできないところに不器用さを感じた。
その後、取材のたびに変わっていった。「『五輪に行く』と言って行けなかったらかっこ悪いと思ってたけど、変に格好つけすぎてもダメ」と言ったのは、最初の取材から1年後の2005年夏だった。06年トリノ五輪を経験しても「自分に厳しくするのは無理。弱いのかもしれないけど、この人に負けたくないって思っている方が頑張れる」。
自分の弱さを認め、変に強がることもなかった。
この10年の間に日本男子初の五輪メダリストになり、世界王者にもなった。一方で、コーチの離反があり、右ひざの大けがでシーズンを棒に振ったこともあった。そしてソチ五輪 シーズン。右すねを負傷し、ショートプログラム(SP)に使う楽曲で代作問題に巻き込まれた。「いつも順調にはいかせてくれない」という彼のスケート人生の縮図のようだ。
それでも、と思う。「自分で変えられないものを受けいれて、変えられるものを変えていくしかない!」。08年、けがでシーズンを休養すると発表した後、自身のブログでつづった言葉だ。その言葉を忘れない限り、高橋がぶれることはないだろう。
ソチの銀盤は華やかだ。「破竹の勢い」を体現する羽生結弦、舞台負けしない強さを身につけた町田樹。圧倒的なオーラを発する地元ロシアのプルシェンコに世界王者のチャン。この中で、3回目の、そして最後と思い定める五輪に臨む高橋。13日、男子SPの幕が開く。
★高橋大輔、あきらめない姿見せたい フィギュア男子
[朝日新聞デジタル 2014.02.14 01]
決してあきらめない、その姿を見せたい。13日夜(日本時間14日未明)のフィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)。高橋大輔(27)=関大大学院=は、昨年11月末に痛めた右足が万全とはいえない状態で、ジャンプを跳ぶ。後に続く子どもたちが、自分の姿を見ているからだ。
2012年秋、高橋は、熱く語りかけていた。
「子どもたちに、好きなことをあきらめてほしくない。楽しくスケートをして、色んな人と出会い、何かを得て社会に出ていってほしいんです」
トリノ五輪前に練習していた大阪府高石市にある臨海スポーツセンターが閉鎖の危機にあった。大阪府側が存続の条件として提示したのが、耐震改修費約3億円の半分を負担することだった。
利用者らが始めた募金活動に高橋も加わった。全国からカンパが寄せられたが、締め切りを前に目標額には遠かった。
そんな時、新聞記事で活動を知ったという人が、連絡してきた。スケートファンではないが、現状を知りたいという。直接会い、思いの丈を2時間に込めた。
数日後、匿名で1億3千万円の寄付が振り込まれた。「未来を担う子どもたちの夢や笑顔を無くさぬように」という一文が添えてあった。存続が決まった。
「子供にメッセージを伝えるなら、現役で輝き、影響力のある今のうちに」。知人にかけられたその言葉が、高橋を動かしている。いじめられることもあって学校に行くのが嫌だった小学生の時、実家そばのリンクで始めたスケートに救われた。だから、リンク存続に絡むことには力が入る。
「責任感は昔に比べたらあるのかな」。高橋は今季を集大成と位置づける。子どもが学べ、スケートの練習もできる施設を作る。3回目の五輪。胸にはそんな思いを秘める。(後藤太輔)
お借りしたweb記事はいつも必ずリンク先も添えるようにしていますが
今回はすでに原文記事が閲覧できなくなっていたため省略させていただきました。
大輔さん情報の備忘録と自分自身の気持ちの整理を兼ねて日々書いてきたこのブログが
今となってはちょっとした大輔さんのアルバム兼ライブラリーにもなっていて、
忘れっぽい私が調べものをするときにも何かと重宝しています(苦笑)。
ちょうど今から1年前の2月14日は「Art on Ice 2015」で滑っていた大輔さん。
ソチから1年、引退発表会見から4ヵ月しか経っていなかった昨年の冬は
まだ気持ちの整理が付いていなくて五輪を振り返るのもつらかった私でした。
あれからまた時が過ぎて、少しずつソチの大輔さんを振り返られるようにはなってきたけれど
実はまだ今でも心が痛くなって耐え切れずに涙がこぼれてしまうことも…
でも。大輔さんが全身全霊をかけて挑んだ集大成の五輪だから、
ソチ五輪の思い出はこの先もずっと宝物のように大切にしていきたいと思っています。
さて、ここからは大輔さん関連の動画をお伝えしておきます。
まずは11日の「徹子の部屋 40周年」でのチラ大輔さん。
あまりに短いので、おまけで1年前の筋肉チェックCM映像も合わせてお借りします。
UP主様、いつもお世話になっております。
◆2016-2-11徹子の部屋・去年のちら
http://dai.ly/x3rjya7
2016-2-11徹子の部屋・去年のちら 投稿者 figyua22
◆2015-01-31 徹子30S
http://dai.ly/x2g1rvs
2015-01-31 徹子30S 投稿者 figyua22
NY留学中の大輔さんを中心に、ここ何年かの大輔さんの映像を集めてくださった素敵な編集。
大輔砂漠に嬉しい動画を感謝してお借りします。
◆Daisuke Takahashi, Night and Day
https://youtu.be/7W6zwUnbjPE
ダイスキなジャズの名曲「Night and Day」がBGMに使われていて、
オシャレで爽やかな大輔さんにピッタリ合っていて、一目でお気に入りのイチオシ動画。
そして、いつかこんな感じのジャズナンバーで滑ってくれないかなぁと勝手に想像しています。
↓「Night and Day」の英文歌詞はこちら
http://www.lyricsfreak.com/f/frank+sinatra/night+day_20055251.html
歌詞を超意訳するとこんな感じ??
『寝ても覚めても、四六時中、あなたのことばかり考えている。
月の光の下でも太陽の下でも、たとえ近くにいても遠くにいても、
街の喧騒の中でも孤独で静寂な部屋にいても…
ずっとあなたのことを思っている。』
「寝ても覚めても」大輔さんのことばかり考えているファンの心情そのもの!?
この曲は歌手のJUJUもジャズアルバムの中でカバーしていて、特に私がダイスキな1曲。
以下のリンク先でお聴きいただけます。
◆JUJU - Night And Day
https://youtu.be/--7QqWEZV30
大輔さんのファンになって、この応援ブログを書き始めてから
フィギュアスケーターとしての大輔さんの魅力はもちろんのこと、
大輔さんの考え方や生き方そのものにも魅力を感じることがたくさんありました。
上手く言葉に表せないながらも日々更新してきたこのブログを通して、
ずっと大輔さんを応援してくることができて本当に良かったなと思っています。
以前のように1日に何度もブログを更新することはめったにないかもしれないけれど。
「寝ても覚めても高橋大輔」の日々はまだまだ続くことでしょう。
マイペースながらもこの場所から大輔さんへのエールを送っていけたらいいなと願っています!
yocco
↧
集大成のソチ五輪に挑んだ2年前&寝ても覚めても高橋大輔
↧