海外経由で伝えられる大輔さん情報が嬉しいここ数日。
アリーナ・ソロヴィエワ選手のInstagram、
今度はストーリーズにも大輔さん登場!
https://www.instagram.com/alishka_solovey/
大輔さんとアリサ・フェディチキナ選手と3人並んでの記念撮影、
練習着姿の大輔さんがまた見られて嬉しいです!シェアに感謝!
シェリル・バークさんのストーリーズには「LOTF2017」の大輔さん。
https://www.instagram.com/cherylburke/
フラメンコを踊る2人のシーン、ストーリーズが消えてしまったあともフォロワーであれば
Instagramのプロフィール画面にあるハイライトで同様のものが見られます。
シェリルさんは「THE 2018 TEEN CHOICE AWARDS」にエントリー中、
投票してね!というメッセージを伝えてくれていますね。
さて、海外からの新情報をもう少し。
フランスのフィギュアスケート専門誌「PATINAGE」(パティナージュ)の最新号に
やはり大輔さんの記事が掲載されることになりそうです。
樋口新葉選手のファンの方のtwitterに現地カメラマンさんからの情報が。
https://twitter.com/wakahfans/status/1011870349124722690
https://twitter.com/wakahfans/status/1011872995566948352
https://twitter.com/wakahfans/status/1011878303450349568
洋雑誌を取扱いされているマガジンマートさんに
「フィギュア専門誌Patinageの次号(155号)は取り扱う予定」との記載あり。
https://www.mag-mart.jp/title/01390
これまでも大輔さんや日本のスケーターたちの記事が掲載されている雑誌を
数多くネット販売してくださっているサイト、大いに期待しています!
こちらの大輔さんの記事は2014年10月号「PATINAGE」に掲載されていたもの。
https://www.mag-mart.jp/vol/01390201403
最初の2ページはフランス語、後半の2ページは英語で内容は同じでした。
ちょうど大輔さんの現役引退後に発売された雑誌、
当時のブログ記事に英文からの和訳をご紹介させてもらっていました。
改めてここに転載しておきます。
(ド素人の自己流和訳なので間違いなどあったらゴメンナサイ)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
★「Le destin de daisuke takahashi -髙橋大輔の運命-」
[PATINAGE(FR) - 14OCT/NOV#140]
「PER ASPERA AD ASTRA」(困難を克服して栄光を獲得する)
このラテン語の格言はフィギュアスケーター高橋大輔の
経歴を要約するのにぴったりと当てはまるだろう。
良い時やどん底の時、トラウマや外科手術、さらに様々な素晴らしい記録においても、
運命は絶えずこの才能あるスケーターの進化に付きまとってきた。
2010年バンクーバー五輪にて、彼は日本人男子初の五輪(銅)メダリストとなった。
その数日後にトリノで世界チャンピオンとなったあとは、
彼の母国で開催される翌年の世界選手権で競技生活を終える決意をしていた。
しかし恐ろしい地震によりその競技会はモスクワに移されることとなった。
優勝候補のまま彼はロシアでもう一度戦うことを決めた。
しかし運命はまたしても彼の邪魔をした。
フリープログラム中のブレードの故障が彼の熱意を打ち砕き、
それと同時に観衆のファンたちの夢をも打ち砕いてしまった。
もう少し、あともう少しのところでダイスケはメダルを取ることが出来なかった。
ショックを受けながらも拍手を通してサポートする気持ちを示していた
観衆たちの前で、氷上の彼は黙ったままだった。
その瞬間は、彼とフィギュアスケートを愛する
あらゆる人々の記憶にずっと刻まれたままであろう。
それは氷上に留まることをダイスケに説き伏せる運命のサインだったのだろうか?
光り輝く日本人は夢を追いかけ、次の五輪への準備へと再び身を投じた。
4年もの間、仕事やトレーニング、ショーやイベントに専念する日々が続いた。
ダイスケはコーチや振付師を代え、新しい解決策や作業方法を探し出し、
絶え間なく、来る日も来る日も、新しいプログラムに磨きをかけてきた。
彼の長年のライバルであるステファン・ランビエルも素晴らしい振付で彼を手伝った。
ダイスケは進化しながらも、作品に対する情熱と愛を持ち続けながら
目標を追い求めていた…それはまさしくソチ五輪!
今度こそ彼を止めるものは何もないと思われたが、五輪の少し前にそれは起こってしまった。
ブレードの故障でも靴紐の問題でもなく、怪我でもなく。
それは彼自身が原因だった。五輪の数か月前に彼は全日本日本選手権を5位で終えた。
おそらく日が悪かったのだろう、あるいはたった3人しか選ばれない五輪代表に入るために
ひどくナーバスになっていたのかもしれない(日本には才能あるスケーターが数多くいる)。
そのスケート靴の下の氷のように「夢は粉々に砕け散ってしまった」、
そうダイスケは思い込んでいたように見えた。
ダイスケはインタビューで感情が溢れうまく話すことができなかったため、
ジャーナリストたちはその取材を中断せざるをなかった。
彼がこの4年間取り組んできたことが無駄になる、そんなことがあっていいのだろうか?
あらゆる夢、熱意、目標がたった数分で砕け散ってしまったときに
その状況を説明できる人が果たしているだろうか?
幸いにも日本スケート連盟は別の選考基準でダイスケを選び、ソチへの道が開けた。
何年もの間、特に2006年と2010年の五輪で、母国の代表選手であり続けながら、
(2012/13グランプリの)ISUゴールドメダルを日本人男子として初めて獲得したダイスケは
当然ながらソチ代表の座にふさわしかった。
世界中の大勢のファンに支えられ、何年もの間その情熱と厳しい鍛錬を示してきた彼は、
最後の試合でたとえ6位に終わったとしても母国の代表に十分値する選手であった。
ソチ後、ダイスケはショーでスケートを披露した。その中で彼は元ライバルだった2人、
エヴァン・ライサチェクとブライアン・ジュベールと並んで登場した。
彼らはそれぞれ引退を表明し、スケートの歴史上でまた新しい何かに向かってページをめくる…
他の多くのスケーター同様、ダイスケもソーシャルネットワークを通じて
運動神経疾患の意識を促進するためのアイスバケットチャレンジに参加していた。
日本のショーでは新しいプログラム、デューク・エリントンの「Caravane」を作り上げた。
彼はしばらく休養を取り語学の勉強をすることを決めていたので、
これが氷上での最後の出演になるのではないかとファンは不安に思っていたかもしれない。
もしかして海外に行ってしまうのか?
彼の「Caravane」は、新しい目標、新しい道、新しい人生へと向かっているのだろうか?
でもおそらく彼の新しいルートは氷の上を経由ながらずっと前進していくのではないだろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
改めて読み返してみると、ダイスケタカハシというスケーターが
いかに愛されていたか、記憶に残る演技で魅了してきたか、
そして引退後も氷の上での活躍を期待されていたのかが伝わってきます。
海外の数多くの振付師からも愛されている大輔さん、
今回フランスで一緒だったリショーさんもまたその一人。
日本のフィギュア雑誌のインタビューで語っていたダイスケ評。
「フィギュアスケートLife vol.11」のプレビューで閲覧できます。
こちらから「ダイスケ」で記事検索!
⇒https://books.google.co.jp/books?redir_esc=y&hl=ja&id=EAk7DwAAQBAJ
大輔さんのすべてが素晴らしいと大絶賛していたり、
リショーさんがフジテレビ中継ナビゲーターを勤めていた大輔さんと
世界ジュニアの会場で言葉を交わしていたことまで
こんなふうに語ってくれていたとは!
まさに相思相愛のスケーターと振付師、
一緒に作り上げた作品のお披露を
ドキドキワクワクしながら待ちたいと思います!
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いつもありがとうございます! yocco
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大輔さんとアリサ・フェディチキナ選手と3人並んでの記念撮影、
練習着姿の大輔さんがまた見られて嬉しいです!シェアに感謝!
シェリル・バークさんのストーリーズには「LOTF2017」の大輔さん。
https://www.instagram.com/cherylburke/
フラメンコを踊る2人のシーン、ストーリーズが消えてしまったあともフォロワーであれば
Instagramのプロフィール画面にあるハイライトで同様のものが見られます。
シェリルさんは「THE 2018 TEEN CHOICE AWARDS」にエントリー中、
投票してね!というメッセージを伝えてくれていますね。
さて、海外からの新情報をもう少し。
フランスのフィギュアスケート専門誌「PATINAGE」(パティナージュ)の最新号に
やはり大輔さんの記事が掲載されることになりそうです。
樋口新葉選手のファンの方のtwitterに現地カメラマンさんからの情報が。
https://twitter.com/wakahfans/status/1011870349124722690
https://twitter.com/wakahfans/status/1011872995566948352
https://twitter.com/wakahfans/status/1011878303450349568
洋雑誌を取扱いされているマガジンマートさんに
「フィギュア専門誌Patinageの次号(155号)は取り扱う予定」との記載あり。
https://www.mag-mart.jp/title/01390
これまでも大輔さんや日本のスケーターたちの記事が掲載されている雑誌を
数多くネット販売してくださっているサイト、大いに期待しています!
こちらの大輔さんの記事は2014年10月号「PATINAGE」に掲載されていたもの。
https://www.mag-mart.jp/vol/01390201403
最初の2ページはフランス語、後半の2ページは英語で内容は同じでした。
ちょうど大輔さんの現役引退後に発売された雑誌、
当時のブログ記事に英文からの和訳をご紹介させてもらっていました。
改めてここに転載しておきます。
(ド素人の自己流和訳なので間違いなどあったらゴメンナサイ)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
★「Le destin de daisuke takahashi -髙橋大輔の運命-」
[PATINAGE(FR) - 14OCT/NOV#140]
「PER ASPERA AD ASTRA」(困難を克服して栄光を獲得する)
このラテン語の格言はフィギュアスケーター高橋大輔の
経歴を要約するのにぴったりと当てはまるだろう。
良い時やどん底の時、トラウマや外科手術、さらに様々な素晴らしい記録においても、
運命は絶えずこの才能あるスケーターの進化に付きまとってきた。
2010年バンクーバー五輪にて、彼は日本人男子初の五輪(銅)メダリストとなった。
その数日後にトリノで世界チャンピオンとなったあとは、
彼の母国で開催される翌年の世界選手権で競技生活を終える決意をしていた。
しかし恐ろしい地震によりその競技会はモスクワに移されることとなった。
優勝候補のまま彼はロシアでもう一度戦うことを決めた。
しかし運命はまたしても彼の邪魔をした。
フリープログラム中のブレードの故障が彼の熱意を打ち砕き、
それと同時に観衆のファンたちの夢をも打ち砕いてしまった。
もう少し、あともう少しのところでダイスケはメダルを取ることが出来なかった。
ショックを受けながらも拍手を通してサポートする気持ちを示していた
観衆たちの前で、氷上の彼は黙ったままだった。
その瞬間は、彼とフィギュアスケートを愛する
あらゆる人々の記憶にずっと刻まれたままであろう。
それは氷上に留まることをダイスケに説き伏せる運命のサインだったのだろうか?
光り輝く日本人は夢を追いかけ、次の五輪への準備へと再び身を投じた。
4年もの間、仕事やトレーニング、ショーやイベントに専念する日々が続いた。
ダイスケはコーチや振付師を代え、新しい解決策や作業方法を探し出し、
絶え間なく、来る日も来る日も、新しいプログラムに磨きをかけてきた。
彼の長年のライバルであるステファン・ランビエルも素晴らしい振付で彼を手伝った。
ダイスケは進化しながらも、作品に対する情熱と愛を持ち続けながら
目標を追い求めていた…それはまさしくソチ五輪!
今度こそ彼を止めるものは何もないと思われたが、五輪の少し前にそれは起こってしまった。
ブレードの故障でも靴紐の問題でもなく、怪我でもなく。
それは彼自身が原因だった。五輪の数か月前に彼は全日本日本選手権を5位で終えた。
おそらく日が悪かったのだろう、あるいはたった3人しか選ばれない五輪代表に入るために
ひどくナーバスになっていたのかもしれない(日本には才能あるスケーターが数多くいる)。
そのスケート靴の下の氷のように「夢は粉々に砕け散ってしまった」、
そうダイスケは思い込んでいたように見えた。
ダイスケはインタビューで感情が溢れうまく話すことができなかったため、
ジャーナリストたちはその取材を中断せざるをなかった。
彼がこの4年間取り組んできたことが無駄になる、そんなことがあっていいのだろうか?
あらゆる夢、熱意、目標がたった数分で砕け散ってしまったときに
その状況を説明できる人が果たしているだろうか?
幸いにも日本スケート連盟は別の選考基準でダイスケを選び、ソチへの道が開けた。
何年もの間、特に2006年と2010年の五輪で、母国の代表選手であり続けながら、
(2012/13グランプリの)ISUゴールドメダルを日本人男子として初めて獲得したダイスケは
当然ながらソチ代表の座にふさわしかった。
世界中の大勢のファンに支えられ、何年もの間その情熱と厳しい鍛錬を示してきた彼は、
最後の試合でたとえ6位に終わったとしても母国の代表に十分値する選手であった。
ソチ後、ダイスケはショーでスケートを披露した。その中で彼は元ライバルだった2人、
エヴァン・ライサチェクとブライアン・ジュベールと並んで登場した。
彼らはそれぞれ引退を表明し、スケートの歴史上でまた新しい何かに向かってページをめくる…
他の多くのスケーター同様、ダイスケもソーシャルネットワークを通じて
運動神経疾患の意識を促進するためのアイスバケットチャレンジに参加していた。
日本のショーでは新しいプログラム、デューク・エリントンの「Caravane」を作り上げた。
彼はしばらく休養を取り語学の勉強をすることを決めていたので、
これが氷上での最後の出演になるのではないかとファンは不安に思っていたかもしれない。
もしかして海外に行ってしまうのか?
彼の「Caravane」は、新しい目標、新しい道、新しい人生へと向かっているのだろうか?
でもおそらく彼の新しいルートは氷の上を経由ながらずっと前進していくのではないだろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
改めて読み返してみると、ダイスケタカハシというスケーターが
いかに愛されていたか、記憶に残る演技で魅了してきたか、
そして引退後も氷の上での活躍を期待されていたのかが伝わってきます。
海外の数多くの振付師からも愛されている大輔さん、
今回フランスで一緒だったリショーさんもまたその一人。
日本のフィギュア雑誌のインタビューで語っていたダイスケ評。
「フィギュアスケートLife vol.11」のプレビューで閲覧できます。
こちらから「ダイスケ」で記事検索!
⇒https://books.google.co.jp/books?redir_esc=y&hl=ja&id=EAk7DwAAQBAJ
大輔さんのすべてが素晴らしいと大絶賛していたり、
リショーさんがフジテレビ中継ナビゲーターを勤めていた大輔さんと
世界ジュニアの会場で言葉を交わしていたことまで
こんなふうに語ってくれていたとは!
まさに相思相愛のスケーターと振付師、
一緒に作り上げた作品のお披露を
ドキドキワクワクしながら待ちたいと思います!
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