今日は大輔さんの名前が登場する2つの新しいweb記事がUPされました。
まずはスポナビコラム、スケートリンク運営の在り方について考えさせられる内容。
閉鎖の危機にあったリンクのために募金活動をしている大輔さんのフォトとともに
記事から一部抜粋でお借りします。(※お手数ですが全文はリンク先でご覧ください)
★スケートリンクを運営する難しさとは
日本フィギュアを陰で支える人々の願い
[スポーツナビ フィギュア コラム 2015.11.17]
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201511150003-spnavi?p=1
■スケートリンクを取り巻く状況
荒川静香が初の金メダルを獲得した2006年のトリノ五輪を境に、日本フィギュアスケート界は全盛期を迎えた。浅田真央(中京大)や高橋大輔といったスター選手が世界の舞台で活躍。2014年のソチ五輪では羽生結弦(ANA)が男子選手としては初の金メダルを日本にもたらした。
しかし、多くの有力選手を擁するまでになった日本にも冬の時代があった。特に1990年代は全国にあるスケートリンクが相次いで閉鎖。行き場を失った選手たちの中には競技を続けることが困難になった者もいたと聞く。理由は建物の老朽化や財政難などさまざまだが、いずれにせよ現在よりも難しい環境であったのは間違いない。
その後、五輪の影響もありスケートブームが訪れても、リンクを取り巻く状況が厳しいことに変わりはなかった。2008年と2012年には大阪府立臨海スポーツセンターが閉鎖の危機に陥り、かつてここで練習していた高橋や町田樹ら選手たちが存続活動に立ち上がるという異例の出来事まで起こった。
2014年7月1日時点で日本スケート連盟が把握しているリンク数は、全国で136に上る。果たしてその実情はどのようになっているのか。今年12月下旬にリニューアルオープンを控える神奈川スケートリンクを例に、リンクを運営する難しさについて迫ってみたい。
(記事文より一部抜粋)
募金された方に笑顔でにこやかに対応しているピンクTシャツ姿の大輔さんは
2012年7月12日に開催された「臨スポ愛募金」 フェスティバルでの一コマ。
臨スポ支援の会公式サイトには、昨年10月の現役引退発表を受けて
大輔さんのリンク存続支援活動の歩みを綴った特集も組んでくださっていましたね。
http://rinkai.rocket3.net/20141125tokusyu.html
↓トップページから過去記事を追っていってもあちこちに大輔さんが登場。
http://rinkai.rocket3.net/
大輔さんと臨スポとの結びつきがどれだけ強かったのか、
リンク存続のためにスケーターたちや関係者の皆さんがどれほどの力を注き
ずっと情熱を燃やし続けて来られたかが伝わる記事や写真がたくさん記録されています。
今秋には完成する見通しとのことですが練習拠点としている生徒さんたちは
リンク再開の日を一番心待ちにしていることでしょう。
出来ることなら日本全国のスケーターたちが恵まれたリンク環境の下で
思う存分練習に打ち込んでもらいたいなと願っていますが…
現実はやはり厳しいものがあるのだなぁと改めて思い知らされたスポナビコラムでした。
そしてもうひとつ、日経新聞web記事も感謝してお借りします。
大輔さんと縁の深いスケート靴の職人さんの特集です。
★選手の個性 磨き上げ メダリスト支えるスケート靴(ここに技あり)/大阪府
[日本経済新聞 2015.11.17 06:00]
http://www.nikkei.com/article/DGXLASIK09H01_Z01C15A1AA2P00/
華麗に氷上を跳びはねるフィギュアスケーター。彼らにとって、スケート靴の調整を任せることは、いのちを預けるのと異ならない。大阪府内などで6店舗を構える「小杉スケート」の田山裕士さん(55)は、職人技でトップ選手たちの演技を足元から支えている。
■氷との接点が肝
氷の上にエッジ(刃)があり、その上に靴がある。調整はその境目、「靴とエッジ」「エッジと氷」という2つの接点が肝。「靴にも選手にも個性がある。選手、靴、エッジの3つと向き合って調和をとる」と、この道37年の田山さん。
選手が立つのは、氷と接触したエッジという1本の線の上。その線はしかし、よく見ると彫刻刀で削ったような1本の溝であり、エッジの左右両端で“エッジが立っている”状態だ。溝を深くして両の歯を鋭くすれば氷を捉えやすくなる。
■「感触」の世界
だが複雑高度な動きをするトップスケーターにとって、この引っかかりは滑らかな動作を阻むことがある。顧客の一人だったバンクーバー五輪銅メダリストの高橋大輔さんの注文は溝の底を極力浅くすることだった。そうした依頼に応じて研磨機をあて、次に「目と触った感覚」(田山さん)を頼りに砥石をあてる。
靴とエッジを固定するのはもっと難しい。両者を接合する複数の留め金を緩めてエッジをずらす。幅は「1ミリ以下。1ミリだと(演技が)全然変わる」。足の形状や力の使い方も十人十色。エッジを外側に出すなどして、選手ごとに最適な位置を見つける。スケーターの「感触」という形のないものに寄り添う営みだ。
大阪府高槻市には、日本フィギュアスケート界の拠点の一つである関西大のリンクがある。本営のそばに名工ありで、高橋さんら関大所属のオリンピアンたちが田山さんに靴を預けるうちに依頼の輪は全国に広がった。現役選手の顧客には世界選手権銀メダルの宮原知子(大阪・関大高)らがいる。「僕がスケーターを支えているのか、支えてもらっているのか、分からないけど」と笑う田山さん。確かなのは、この地にリンクがあり、選手を跳ね回らせる技があることだ。
こちらは2014年1月の朝刊に載っていた田山さんの記事の画像です。
せっかくの機会なので大輔さんとのエピソード部分の書き起こしを再度掲載しておきます。
詳細はお手数ですが以下のリンク先でお願いします。
(このブログの過去のエントリー記事にまとめてあります)
★選手と駆ける[1] 勝利の靴 任せて―フィギュア代表支えるロバさん
[読売朝刊 2014.01.03]
http://ameblo.jp/chocolove37/entry-11742467662.html
ソチ五輪の男女代表6人のうち、高橋大輔(27)、村上佳菜子(19)両選手のメンテナンスも引き受ける。そんな一流の職人も苦い経験があった。
2011年の世界選手権。演技中に高橋選手の靴のネジが外れ、5位に終わった。16歳の頃から担当し、成長を見届けてきた。大会直前にも研磨していたので頭が真っ白になった。
「大輔、ゴメンな。」大会後に謝ると、高橋選手は「自分で何度もネジを外してエッジをずらした」とかばってくれた。でも悔いは残る。「靴には全責任がある」
その高橋選手から電話があったのは、代表発表から4日後の昨年12月27日。「ソチで使う新しい靴をお願いします」。いつもの弾んだ声が聞こえてきた。29日、店を訪れた高橋選手に「頑張ってな」と声をかけると、「ありがとうございます」と笑顔で返ってきた。
五輪前にエッジを研ぐことになる。「大輔にとって、きっと最後の五輪。後悔しない演技をさせてやりたい」と気を引き締めつつ、「演技中は『ネジが外れるな』『ひもがほどけるな』と祈る気持ちで足元ばかり見つめてしまうんやろうな」。また苦笑いを浮かべた。
フィギュアスケーターの皆さんにとって大切な日々の練習には、
それを十分に行うことの出来る設備の整ったスケートリンクと
巧みな技術と心配りが反映される繊細な道具のスケート靴が必要不可欠。
良い練習が良い結果に結びついたときの選手たちの笑顔が
今シーズンまだまだたくさん見られると一フィギュアファンとしても嬉しく思います。
今夜はしっとりと美しい滑りが見たくなったので。
大輔さんの2010年バンクーバー五輪EXの翻訳付海外解説動画を感謝してお借りします。
◆【ニコニコ動画】≪British Euro Sport(翻訳付き)≫高橋大輔 2010 バンクーバーオリンピック EX
◆【ニコニコ動画】高橋大輔 2010 バンクーバーオリンピック EX TSN
yocco
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(記事)スケートリンクとスケート靴と大輔さんと。
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